神様に見守られて
Kさん 女性
30年ぶりの教会で
02年の夏に、母の具合が悪くて実家に帰った時、30年ぶりに子供の頃に通っていた教会に行ってみました。すると礼拝中に講壇から、牧師先生が、私の名前を呼んでくださりびっくりしました。30年ぶりというのに懐かしそうに声をかけてくださったのです。その時私はずっと今まで、神様に見守られ生きてきたのだという思いを深く持ち、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
孤独の中での子育て
私には3人の息子がおり、次男と三男が年子なので、必死で育ててきました。転勤族で、見知らぬ土地を転々としながらの子育ては、本当に大変でした。主人は典型的な仕事人間で、どうして私だけがこんなに大変なのかと、主人を思いやることさえできず、いつも私は孤独で日々の生活と戦っていたように思います。
寒い冬の夜中、右手で三男を抱っこしてミルクを与え、左手でアトピーのため夜泣きのひどかった次男の背中をかきながら寝かせ、やっとうとうとしたと思ったら、朝早く起きて長男のお弁当を作って幼稚園に送っていくという毎日でした。
あまりに疲れて、夜お米を計ろうとかがみこんだとたん、立ち上がることができず、涙がぽろぽろ流れました。三男がようやく中学校に入り、少し自分の時間ができた時、ふと気が付くと、自分の心の中にぽっかり空洞ができていました。と同時に主人との関係がぎくしゃくしていて、わけもなく不安になったり、体の調子が悪くなり救急車で運ばれたこともありました。
心に染みた聖書のことば
牧師夫人である姉が送ってくれる教会の読み物や、浦安教会で配ってくださった今月のことばを、心の飢えを埋めようと必死で読みました。一語一語が私の心に深く染み入りました。
何があってもいつも生き生きと喜びにあふれて暮らしている姉に背中を押されて、この教会に通わせていただきました。最初の時、人見知りの私が、何の違和感も無く教会に入れたことが思い出されます。
斉藤先生を通しての主のメッセージをうかがい、最初漠然としていた信仰が、少しずつ確かなものになり、全面的にイエス様を私の救い主だと信じ受け入れました。
心が喜びに埋められていく
今は、不思議とあんなに不安で空洞だった心が、どんどん喜びで埋められていくのがわかります。重く張っていた肩がすっと楽になるように、私は今、神様の愛に包まれて、本当に平安な日々を送っております。
神様は、小さい時から私を見捨てず、ずっと見守っていてくださいました。罪深い私はようやく、私のために十字架にかかって死んでくださったイエス様の深い愛に気付きました。これからの人生のすべてを神様におゆだねして生きていけることに本当に感謝しています。
「主ご自身がこう言われるのです。『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。』そこで、私たちは、確信に満ちてこう言います。『主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。』」(へブル13・5~6)